家々に釘の芽しずみ神御衣のごとくひろがる桜花かな
いえいえに/くぎのめしずみ/かむみその/ごとくひろがる/さくらばなかな
大滝和子
小説家の小林恭二主催の歌合(うたあわせ)の模様を収録した、『短歌パラダイス』(岩波新書)。その歌会で提出された歌。題は「芽」。
「釘の芽しずみ」。
木造の、日本家屋のイメージ。
木材は季節の巡り、湿度変化などによって伸縮する。
「芽をもつ」家家、材に使われた木は、いまだ魂をもって生き、成長してる。
「釘の芽しずみ」。
木火土金水、五行相克の理からいって、金は木に克つ。
材に埋め込まれた釘は、そうした木のもつちからを眠らせ、家の形態に、「鎮めて」いるのかもしれない。
荒魂(アラミタマ)を和魂(ニギミタマ)に祀る、みたいな…神道の理論はよく知らないので、口から出まかせ。
しかしまた、この歌をよくみれば、金属の釘が、木である家の「芽」だ、といってる。
釘は木の一部だと。
この歌では、木と金が対立してない。
それで釘=芽は、時節がくれば、花ひらいちゃう、ことになる。
家家の釘が花ひらく、とはどういうことなのか。
釘の芽がしずんでいる一方で、町には桜の花が「神御衣」のごとくひろがる。
「神御衣」(かむみそ)は、神への奉納物、みてぐら(幣帛、御手座)として捧げられる衣。神の着る衣。
祝詞に出てくる「宇豆のみてぐらは、御衣は明妙(あかるたへ)、照妙(てるたへ)、和妙(にぎたへ)、荒妙(あらたへ)…」
「あかるたへ」は明るい衣、水原紫苑の歌集のタイトルでもある。
家家に「しずむ」金属の芽が、なぜか、辺り一面の桜花として「ひろがる」。
ここらへんは、もはや論理を超越した感じ。想像してみると、金と木、家家と野山、みたいな、そういう対立もない世界。もう全てが神御衣っす、みたいな。
それが「しずみ」「ひろがる」ということばの対比によって、かろうじて形をもって「鎮め」られてる感じすら、する。
歌会に参加した当代の錚々たる歌人たちを戦慄させたのも、納得のすごい歌。