タパヌリ熱

"What do you know, pray, of Tapanuli fever?" said Sherlock Holmes. 音楽や本など、嘘や発見を書くブログ。旧ブログ http://ameblo.jp/baritsu/

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって/中澤系

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって/中澤系

 

さいきん『uta0001.txt―中澤系歌集』を買って、はじめてこの歌人の作品に接しました。非常に刺激的でした。

 

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって/中澤系

さんばんせん/かいそくでんしゃが/つうかします/りかいできない/ひとはさがって

 

三句切れ、定型を守っていますが、短歌的な韻律とは切れていると感じます。
上句は駅アナウンスの引用であり、日常的な、ひとかたまりの定型的な日常言語のひびきが、短歌的な韻律を圧倒しているからです。

これはほとんど、短歌定型への擬態といえます。

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ホームの縁から下がれ、という注意喚起は、列車への接触の予防のためになされます。

通過する快速電車に接触することは、接触する個人にとって、けして軽くはない負傷、あるいは死をもたらすことが、予想されます。
一方、電車、鉄道会社、また他の通勤中の人々、すなわち社会にとって、その接触は、路線の一時的な運休、通勤の混乱、つまり社会システムの攪乱を意味します。

 

考えてみれば、通勤のためにホームに立つ人は、重い物体が明らかに殺傷能力をもって高速に通過する傍らに立つことを、毎朝毎晩、余儀なくされているわけです。

しかしその物体との接触は、接触する個人にとっては人生を左右する出来事かもしれませんが、社会にとっては、いずれ金と時間を費やすことによって補塡されうる些細なものにすぎません。
そこに現代社会における人間存在の悲劇などを見ることもできるかもしれないのですが、この中澤系のうたの主題は、とりあえずそのような悲劇性にはないのです。

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接触がすなわち死傷をもたらすような、快速な運行ぶりを見せているもの。
その運行ぶりについて、ここで、その場に居合わせた人々に対して発せられたのが、

「3番線快速電車が通過します」というメッセージです。

 

メッセージは理解可能だからこそ、メッセージといえます。

しかし、続く「理解できない人は」は、今言われたメッセージの理解の有無は関係ない、と言っているわけですから、つまりそのメッセージの自己否定です。

メッセージそれ自体が「このメッセージには意味がない」と言っているわけです。


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上句のメッセージの自己否定ののち、つまるところ、この一文のうち、メッセージとして残るのは、結句「下がって」だけということになります。
通常の駅アナウンスでは「お下がりください」と、丁寧語で発せられるはずの命令文がむき出しの形で提示されています。単に発話が途中で中断したのかもしれません。

そして下句のリズムは、愉しげですらある3+4反復になっています。

 

目の前を轟音を立てながら通過しつつあるものは、すでに「理解」の対象ではありません。

われわれにできるのは、理解ではなく、下がってその快速な運行を見守るか、下がらずに死か破壊を招きよせるか、だけです。

 

ここで、むき出しの「理解できない人は下がって」に露呈しているのは、

目の前の運行ぶりに対して、もはや理解も丁寧さも意味をもたない、ということ。
それについてメッセージを発することは、無為なのです。

 

あとに残ったのは、眼前の、見方によっては暴力的ですらある運動と、その光景が必然的に示している「下がれ」という命令だけです。

 

「国民のご理解をいただきたい」が実質的に「黙れ」という意味であるのと似ていますが、ただし、政治家の発言は、政治家という主体が国民のみなさまに話している、という古典的な演劇の設定が守られている分、まだかわいげがあります。

 

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しかしまた別の解釈もありえます。

 

ひょっとして、この歌の語り手は、「理解できる人は、快速電車に接触してよい」ことを示唆しているのではないでしょうか。

理解できる人は、列車に接触する、と語っているのではないでしょうか。

それはさておき、ここでの語り手が人間なのかどうかすら、定かではありません。
その語り手を、たとえば「システム」などと読むこともできます。

しかし、「システム」の擬人化とは、Deus ex machinaの登場にも似て、あまり良い趣味とはいえないかもしれません。


ここにあるのは、ただの「言葉」かもしれません。
この歌は、テープで再生されているだけの、常にあちこちで快速に流通しつつある言葉そのものであって、とすれば、その語り手など、どこにもいないとも思えます。

ならば、それを理解できる、あるいは理解できないもの、もまた、存在しないのかもしれません。

 

 

uta0001.txt―中澤系歌集

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