■梵網経の構成
ここまでは過去世についての当時の宗教家の意見、ここからは未来についての意見。
4(6)有想論
6-1 死後に想念のある我(魂)がある
この見解は16種類に分かれてますが、
死後に、想念をもつ、不変の魂があるという主張はすべてに共通、
・物質的な感覚(色 ruupa)があるか
・有限/無限 ・瞑想状態か/日常意識か
・苦・楽のどれがあるか などなどの主張が異なります。
4(7)無想論
7-1 死後に想念のない我(魂)がある
これは8種類、魂は不変で想念はない、が共通
8種の違いは、6-1と似たようなもんです
4(8)非有想非無想論
8-1 死後に想念があるのでもなく、ないのでもない我(魂)がある
これは8種類。違いはこれまでと似たようなもの。
6から8のバリエーションは、瞑想の境地のアナロジーです。
亡くなるときに瞑想状態だと、心の状態に応じた世界に生まれ変わる、という発想。
当時の宗教家が自分の瞑想の境地から、これが魂の姿だ、と思ったということ。
4(9)断滅論 死ぬと魂も肉体も消滅する
9-1 父母から生まれ、物質の集合である身体・魂が消滅する
9-2 1は真の消滅ではない。より微細な物質の世界(色界)の存在であり、
そこで魂の消滅がある
9-3 2は真の消滅ではない。 魂は、物質を離れた心の世界(無色界)の存在であり、
そこで魂の消滅がある
9-4〜9-7
他の者がいう魂の消滅は、真の魂の消滅ではない、なぜなら…
・魂は無限の空間(空無辺処)に属し、そこで消滅する
・魂は無限の意識(識無辺処)に属し、そこで…
・魂は何も存在しない世界(無所有処)に属し、そこで…
・魂は究極の寂静である、想念が有でも無でもない世界「非想非非想処」で…
ここでは、それぞれの宗教家の達した、瞑想の最高の境地が「これが真の世界、これが真の自己」と主張されているわけです。
4(10)現世涅槃論 この世が最高
10-1 自分はさまざまな感覚において、最高の喜びを得ている。
これが生命の最高の状態=涅槃である
10-2〜10-5
感覚の喜びを離れた、これこれの瞑想の境地がある。これが最高の状態=涅槃で
ある
10-1は、ともかく自分は今の生活に満足なんだと、今の状態が最高なんだ、と。
10-2から-5は、初禅〜四禅という瞑想の境地で、止(サマタ)、禅定(ジャーナ)、
サマーディなどというもの。
これは安楽なのですが、またしても、自分の境地こそ最高、と断言、というパターン。このパートだけでなく、ここまで列挙されてた「宗教体験」は瞑想のことですね。
それらは、全部仏教の修行論では、それがどのようなものか、理論化されてます。
でもその「境地」に執着することは仏教ではすごくダメ、とされてます。それがこの経典のテーマでもある訳ですが、禅宗などでも丁寧に言われてるところです。
さてこれだけ長く(しかも結構はしょって)引用したけど、
つまるところどれも<自分にはこの体験がある。この体験こそ真実>ということです。
でも別の、相対的に、別の体験、もっとすごい体験をしてる人もいるかもしれない。
そしてまた、それらの宗教体験から、そうは断言できないことを断言してしまっている、ということです。有限な体験から無限について語る。
つづく。