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タパヌリ熱

"What do you know, pray, of Tapanuli fever?" said Sherlock Holmes. 音楽や本など、嘘や発見を書くブログ。旧ブログ http://ameblo.jp/baritsu/

満月は熟れつつ 賜へわが領に鳥目繪の斑の吐噶喇列島

満月は熟れつつ 賜へわが領に鳥目繪の斑の吐噶喇列島

塚本邦雄 第八歌集『蒼鬱境』

まんげつは/うれつつ たまえ/わがりょうに/とりめえの ふの/とかられっとう

 

『蒼鬱境』は塚本邦雄の著作の中でも最大のレア本で、オリジナルは限定20部の肉筆私家版。稀覯書というか入手不可能。

賜へ!俺に。活字版の副本でも我慢するから!

この歌集は、割腹自殺した友人三島由紀夫、歌壇から失踪していた盟友岡井隆承久の乱の「御謀反」で隠岐に追放された後鳥羽上皇に捧げられてるそうな。

直訳すると、


満月が熟れつつあるこの今…願わくは、私の領土として、鳥瞰図の斑点のようなトカラ列島を賜わらんことを。

サッパリ意味がわからないと思いますが、とりあえず、トカラ列島は、鹿児島県薩南諸島に属する列島。鳥目絵つまり鳥瞰図の、っていってるから、現実のトカラ列島がどうだということは、ここではあまり意味がない。地図とか、イメージ、言語表現としての、吐噶喇列島。


それでたとえばこう読む。

「斑点のような列島を我が領土にする」といえば、すぐに、流刑、流浪、などのイメージが想起される。
すると先に挙げた人物達への思い、のシンパシーだったり、憧憬だったり、が読み取れる。
でも塚本は王朝和歌でさえ、作者の伝記的事実などを踏まえなくても秀歌は秀歌であるはずだ、と主張してた人だから、別に当時の塚本の思いを忖度する必要もないかもしれない。

また別の観点から。トカラ列島の「吐噶喇」というのは、漢字が難しい。

吐噶喇列島を「我が領」に選んだのは、ズバリ、漢字が難しいから。
なんだそのアホな読解は、と思われるかもしれないが、あると思う。

塚本邦雄は、画数の多い漢字を闇雲に抹殺する戦後「国語改革」を忌み嫌っていた人で、(ほんとはこの歌も旧字体で表記しないといけないのだが)

つまり、我が領というものがあるなら、それは滅び行くことばの世界だ、という感じにも、読める。

そこら辺を敷衍して、また別の視点でいえば、塚本の重要なモチーフである「戦争」の主題を読むことも可能。
つまりここでのトカラ列島というのは、突然断定しちゃいますが、詩的には、千島列島の対極といえるわけです。

「我が領に賜へ」。
戦争によって勝ち取られる近代国家の領土などに興味はない。私が求めるのは「私の」領だ、と。しかも「賜へ」。いったい20世紀末に、誰が誰に領土を「賜ふ」ことができるというのか。神か。

そうすると、この歌の語り手は、自分は現実の「領土」ではなく、幻想とか美の世界に領土を求めるのだ、って言ってるようだ。で、領土獲得、といっても、そんなに軍艦マーチが高らかに奏されるようなもんじゃなくて、流刑、遠島なんだ。

それもあり得ない「賜へ」、熟れつつある満月の下のlunaticな夢に過ぎない。

『蒼鬱境』たる所以でしょうか。


ならば一首は、藤原定家紅旗征戎わが事にあらず』のパラフレーズとなり、三島、岡井、後鳥羽院への反歌、かへし歌としての意味合いというのも明らか、かもしれない。

我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け 後鳥羽院