春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ
前川佐美雄
古書肆で、前川佐美雄(1903-1990)の第二歌集『大和』(昭和15年(1940),甲鳥書林)、ゲッツ。定価、一圓七十銭なり。缶コーヒーを一本買う値段で70冊くらい買えます。
違うか。10,000円くらい。でもこのオシャレな箱を見たら、我慢できなかった。
昭和11(1936)年〜昭和14(1939)年の歌550首を収める。
時代背景を見ると、
昭和12(1937)年7月、盧溝橋事件〜日中戦争。
昭和15年(1940)年、7月に第二次近衛文麿内閣成立。9月に日独伊三国同盟。10月大政翼賛会結成。
それで昭和16(1941)年、12月8日マレー攻撃、真珠湾攻撃。英米と開戦。
ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉散らす
鬱鬱と霞が垂れ込めているような雰囲気の歌集で、類歌が多い。でもそれが瑕ではなくて、むしろ、なんだか、いい。
頻出するイメージとして「霞」のほかに、「飛ぶ」も印象的。集中、やたらに山から飛んだり、誰かに、飛べ、といってる。
たった一人の母狂はせし夕ぐれをきらきら光る山から飛べり
月きよき秋の夜なかを崖に立ち白鬼となつてほうほう飛べり
青空の澄みたるほかは思はねばひびきを立てて飛び行きにけり
いづくにか溜息ついてゐるらしきをとめよ春をみな飛び下りよ
夏三十日むごき日でりに萎ゆれば草さへ地を抜け出でて飛べ
戦後、戦時中の翼賛的な戦争詠が批判されるんだけど、『大和』の歌はどちらかというと厭戦的で、ニヒリスティック、時に反抗的なものを感じさせる。
大戦となるやならずや石の上に尾を失ひし蜥蜴這ひ出づ
夜夜をわれらまづしく地ひくく眠らへばすでに則にしたがふ
尾を垂れて夕べをかへる家畜らのうちしほれたる我は容るるな
あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし
「諦念」や「老い」をイメージさせる歌も多い。でも集中最後期の歌でも、まだ三十代半ばです。
秋の日向を軋りゐるのは牛ぐるま遠き日の夢の老いゆくまでも
たましひの癒えそむるころ晩夏は石ひびくごと遠くに過ぎぬ
杜若むらさきふかく咲く邊まで昨日はありしさきはひなるを
秋の日に照らふ草山ただ青くゐむかへばすでにわが眼はとづる
四方山もすでに暮るると下りきたり谷に水のむけものちひさし
かぐはしき思ひのなにも無きながら強ひて象る花はひらめかず
春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける
モダニズムを消化した上での、古典的、静謐な世界も。
はろかなる星の座に咲く花ありと昼日なか時計の機械覗くも
しんしんと大樹の杉を容れしめてしづかなるかな青空の照り
遠空は淡き縹に澄みたれば夢消えてゆくよ草みちづたひ
草の上に脱ぎ捨てられし白き帽子が真昼の夢にかよふ久しき
蛇も蛙も背の縞目の荒だちて秋に入りゆくはともにかなしき
炎天に燃ゆるほのほお黄いろきに殴りこむべくいらだたしけれ
「むせぶような」孤独感。
冬の夜をひとり起きゐて飯食めば食器に見ゆる菊の花の寒き
けだものの脚はいよいよ繊ければ日の暮のごとわれは歎けり
真昼間の霞いよいよ濃くなりてむせぶがごとく独なりけり
太陽はあるひは深く簷(のき)に照りわがかなしみのときわかたずも
ゆく春は獣すらも鳴き叫ぶどこに無傷のこころあるならむ
生命力の希求。
おぼろめく春の夜中を泡立ちて生れくるもの数かぎりなし
運命にひれふすなかれ一茎の薄紅あふひ咲き出でむとす
野の涯の薔薇垣のぞみ飛び超えて荒荒しき生命また歌ひ出す