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タパヌリ熱

"What do you know, pray, of Tapanuli fever?" said Sherlock Holmes. 音楽や本など、嘘や発見を書くブログ。旧ブログ http://ameblo.jp/baritsu/

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや/寺山修司

和歌・短歌

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司

 

富沢赤黄男の俳句、
 一本のマッチをすれば湖は霧
本歌取り、というか、パクリ。
新古今時代以来の本歌取り論に従えば、本歌取りは、既存の作品の独自表現は使わない。これは、富沢の作品の核心部分をまるっとコピーしてますから、パクリ。

富沢赤黄男の俳句はかっこいいので、他にも挙げてみる。
 豹の檻一滴の水天になし
 蝶墜ちて大音響の結氷期
 瞳に古典紺々とふる牡丹雪

寺山の、他のパクリの例も挙げておこう。
 わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る
 寺山修司

 わが天使なるやも知れず寒雀
 西東三鬼

俳句を上句にまるっと使うパターンが確立されてます。
しかし、寺山の歌は、三鬼の天使を、猟銃で射殺してます。
結句「嗅ぎつつ帰る」の投げやりな、ナメきった感じが、いいです。
いちおう歌としては、田舎の鬱屈した少年、納屋から盗み出した親の猟銃…のような、青春詠に読めるところが、またヒドくて、良いです。
盗用を批判された寺山はショゲたらしいですが、作品自体が「盗んだ。殺した。それがどうした」と言っています。

寺山に限らず、短歌というのも似てしまうもので、短歌雑誌などでもよく類歌を目にするし、塚本邦雄などにも、そういう類歌はある。

算術の少年しのび泣けり夏
おそるべき君等の乳房夏来る
西東三鬼

まず脛より青年となる少年の真夏、流水算ひややかに
乳房ありてこの空間のみだるるにかへらなむいざ橢圓積分
塚本邦雄

意図的な本歌取り、オマージュかもしれないけど、塚本邦雄の代表作とはいえないでしょう。三鬼の本歌の方が、するどい。

さて「マッチ擦る」の歌は、パクリなんだけど、一首全体として富沢赤黄男の作品とはまったく別の世界を作り上げてる。天才によるパクリ。

 

パクリについては以前も書きましたが、別に、結果が素晴らしければ、別にいいじゃん。
という考え方もありえるのではないでしょうか。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
まっちする/つかのま うみに/きりふかし/みすつるほどの/そこくはありや
意味は
マッチをする一瞬、海に霧が深く垂れ込めている。我が身を捧げるほどの祖国というものが、私にあるのか

三句切れ。

・現代語「捨てる」の文語は「捨つ」。タ行下二段活用。
「捨つる」は連体形。
・「ありや」、現代語「ある」の文語は「あり」。ラ行変格活用。
 「や」は疑問(反語)・詠嘆の助字。

・上句で視点人物の見たある光景を描き、つづく下句で視点人物の感動を表す、近代短歌の典型的なパターン。全体は一人称視点、「わたし」の見た光景、それに対する「わたし」の感慨、というのが、近代短歌の「お約束」です。

 祖国が「わたしに」あるのか、の「わたし」は、歌の中に書かれていませんが、そうしたお約束を踏まえています。この「わたし」は実在の「作者」と同一視されるのですが、寺山は短歌に「架空のわたし」を導入した人です。

 

 アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり故郷の母は田を打ちていむ

 

 寺山は、少年時代に日本共産党機関誌『赤旗』を販売したこともありませんし、寺山のお母さんであるハツさんは故郷で農作業などしていません。

当然、海辺でマッチを擦ってこの歌を作ったわけがない。そもそも、俳句のパクリなんですから。

 「マッチ擦るつかのま」は、マッチを点けるとき、一瞬、ぼわっと大きな炎を出すことがある、その様子を言っています。
 一瞬のあかるさに海の霧が浮かび上がって、また消えた。

 その一瞬に、「身捨つるほどの〜」という思いが湧き上がった、というわけです。



 そして下句の「祖国」と、上句の「海の霧」とは、直接的には関係がありません。象徴的な表現です。

細かい説明が面倒くさくなってきたので端折ると、霧に閉ざされた海の向こうにあるのは、アメリカ。
戦後ってことです。高度経済成長の時代、いつか「アメリカ並みの生活」になろう、と日本人が懸命に働いてた時代ですね。「身捨つる」は戦争のイメージでもあり、また、復興、経済成長のために骨身を削って働く人々のイメージでもある。

 

「マッチ摺る」ってことはタバコに火を点けようとしてるんだと思う。すなわち、語り手は少年ではないと思える。でも中年以降の人物でもない。「祖国はありや」という感慨には、生活に追われながら家族を養ってる人のものではないように思う。

青春の歌という感じがする。