タパヌリ熱

"What do you know, pray, of Tapanuli fever?" said Sherlock Holmes. 音楽や本など、嘘や発見を書くブログ。旧ブログ http://ameblo.jp/baritsu/

「敬礼」で学ぶパーリ語の名詞

「敬礼」で学ぶパーリ語の名詞

敬礼 Vandanā

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa.

かの阿羅漢、正等覚者である世尊に礼拝いたします

この敬拝文を例に、パーリ語の名詞の文法を見てみる。

 

1.パーリ語名詞の属性:性・数・格

(1)性

パーリ語の名詞には、男性masculine/中性neutral/女性feminineの3つの文法性がある。これは、単語ごとに決まってる。

 

人を表す単語などで、実際の性別と一致する場合もあるが、一致しない場合も。

また、複数の性がある単語があったり、あるいは詩の韻律に合わせるため、

単語本来の性と変えたりもする。 

(2)数

そして名詞は単数形singleまたは複数形pluralの2つの形をもつ。英語と同じ。

(3)格

さらに、文中の名詞は、文におけるはたらきを示すために、

主格・呼格・対格・具格・奪格・与格・属格・処格の8つの格に変化する。

ブッダbuddhaという名詞の語形が「ブッダはbuddho」「ブッダをbuddhaṃ」…のように変化する。

 

数と格による名詞の語尾変化を曲用declensionという。

辞書では、語尾変化を取った基本の形で掲載される。

 

※なお、パーリ語は名詞をつなげた複合語を多用する。

 複合語では、最後の単語以外、格変化しなかったりする

 すると、漢字熟語みたいに語と語の関係が問題になる。

  青山(青い山) 登山(山に登る) 山川(山と川) etc.

 

2.曲用パターンを決める名詞語基

さて名詞は2つの数×8つの格=計16通りに曲用する。

OK、16コの語尾変化を覚えればよいですね?英語しか知らない凡夫なら、そう考える

 

だが曲用は、その名詞の「語基」「性」により異なるパターンに。

もう一度本文を見てみよう。

 

礼拝 Vandanā

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa

かの阿羅漢、正等覚者である世尊に礼拝いたします

 

タイトルのvandanā(礼拝)は、「ā語基・女性名詞vandanāの単数・主格形」。

 

本文は名詞(代名詞)だけでできていて、動詞がない。

「~に敬礼。」という名詞文。体言止め。

namo(礼拝)

 「as語基・中性namasの単数・主格形」。

tassa以降の単語はぜんぶ、与格「~に」。

tassa「かの」は代名詞/形容詞なので、後述。

bhagavato 「ant語基・男性bhagavantの単数・与格」 世尊に

arahato 「ant語基・男性arahantの単数・与格」 阿羅漢に

sammāsambuddhassa 「a語基・男性sammāsambuddhaの単数・与格」

 完全に悟った人(正等覚者)に

 

bhagavato、arahato、sammāsambuddhassaは同格関係で、同じ対象を言ってる。

「世尊であり、阿羅漢であり、正等覚者な方に」。

それに、同格の形容詞tassa(あの)がついてる。

 

bhagavato、arahato、buddhassaは全て単数・与格で、全て男性。

-atoとか-assaとかが、曲用語尾。

さて、bhagavatoとarahatoは同じ語尾だが、

buddhassaは同じ性・数・格なのに、語尾がちがう。

なぜなら、前者2つは「-ANT語基」、辞書形はbhagavANTとarahANT

buddhassaは「-A語基」、辞書形は「buddhA」。

 

「語基」とは、曲用語尾を取った、辞書形のことで、

その末尾の母音/子音によって分類される。

この「語基」タイプと、名詞の性によって、曲用パターンが変わる。

語基ごとの曲用表を見るまえに、格について具体的に見る。

 

3.名詞の格とは?

格とは、文における名詞の文法的機能の表示

日本語だと、助詞(てにをは)。

 

日本語は助詞という格機能専用の単語を「名詞にくっつけて」格を表示する。

印欧語では、名詞自体が変化する

印欧語の格変化は、言語が進化する過程で、たいてい単純化されたり消失してる。代わりに前置詞が発達したりして。

英語なぞは、めっさ進化してるので、代名詞にだけ格の痕跡がある。

I / my / me / mineとかhe / his / himとかshe / her / herとか

 

パーリ語は古代の言語なので、格がバリバリに健在。

主格nominative 動作主。 ~が、~は

呼格vocative 呼びかけ。 ~よ

対格accusative 目的格。 ~を

具格instrumental 道具格  ~によって

奪格ablative ~から

与格dative または向格。~に

属格genitive 所有格。~の

処格locative 場所格。~で、~において

 

※まず何をおいても、格の名前を日本語と英語で覚えた方がいい。

しゅ・こ・たい・ぐ・だつ・よ・ぞく・しょ~♪ みたいに。

 

基本的にそれぞれの格は日本語訳どおりに使えるが、日本語とは異なるところも。

たとえば

※ある動詞が目的語としてどの格をとるか、(格支配)というのは、

 実は言語によって違う。

 buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi 帰依処であるブッダ「に」行く

 日本語の感覚だと与格dative(~に)だが、

 buddhaṃ saraṇaṃは対格(~を)。

 パーリでは動詞gacchati(行く)は、目的語に対格をとる。

※格を使った英語の分詞構文のようなの(絶対格)なんてのもある。

 

4.a語基の曲用表

まずa語基の男性・中性・女性

 

buddha a語基・男性名詞 ブッダ

単数sg.

複数pl.

主格 nominative

ブッダは・が

buddho

buddhā/buddhāse

呼格 vocative

ブッダよ!

buddha

buddhā

対格 accusative

ブッダ

buddhaṃ

buddhe

具格 instrumental

ブッダによって

buddhena

buddhehi/

buddhebhi

奪格 ablative

ブッダから

buddhā/buddhato

buddhasmā/buddhamhā

与格 dative

ブッダ

buddhāya/buddhassa

budhānaṃ

属格 genitive

ブッダ

buddhassa

処格 locative

ブッダにおいて

buddasmiṃ/buddhamhi/buddhe

buddhesu

複数の具格と奪格、および与格と属格は、どの性&語基でも同型になる。

また、複数の具・奪、与・属、処格は、すべての性&語基で、ほぼ同型

 

pa a語基・中性名詞 色

単数sg.

複数pl.

主格 nominative

色は・が

pa

rūpāni

呼格 vocative

色よ!

pa

rūpā

対格 accusative

色を

pa

rūpāni

具格 instrumental

色によって

rūpena

rūphehi/rūpebhi

奪格 ablative

色から

rūpā/rūpato

rūpasmā/rūpamhā

与格 dative

色に

rūpāya/rūpassa

rūpānaṃ

属格 genitive

色の

rūpassa

処格 locative

色において

rūpasmiṃ/rūpamhi/rūpe

rūpesu

 

中性名詞はどの語基でも、主格と対格が同型になる特徴がある(単数も複数も)。複数の主・対格語尾-āniは中性名詞独自のかたち。

そして主格・対格以外は、男性名詞と同じ。

 

gāthā ā語基・女性名詞 詩(偈)

単数sg.

複数pl.

主格 nominative

詩は・が

gāthā

gāthā/gāthāyo

呼格 vocative

詩よ!

gāthe

対格 accusative

詩を

gāthaṃ

具格 instrumental

詩によって

gāthāya

gāthāhi/gāthābhi

奪格 ablative

詩から

与格 dative

詩に

gāthānaṃ

属格 genitive

詩の

処格 locative

詩において

gāthāya/gāthāyaṃ

gāthāsu

女性名詞は長母音で終わるものが多い。アーとかイーとか。

単数・具格~処格は、まるっと-āya男性名詞より単純になってる。

単数処格の-āyaṃ、複数主・呼・対のgāthāyoも特徴的。

 

複数の具~処は男性・中性とほぼ同じだが、母音が「ā」になってることに注意。

cf. buddhehi

 

5.なぜ、同じ数・格に複数の語形が…?

さて、1つのセルに複数の単語が入ってるところがありますが…

 

サンスクリットラテン語、漢文みたいな「古典語」は、インテリの文章語として、整備され保全されてる言語。「イタリア語」とか「日本語(標準語)」みたいな「国語」もそう。

 

印欧語を話す、いわゆるアーリア系民族が現在のイラン方面からインド亜大陸に侵入したわけですが、サンスクリットは、アーリア系民族の使ってた古い言語、イランのアヴェスターやヴェーダの言語(Vedic Sanskrit)を、パーニニなどの古代の文法学者が規範化したもの。文語。

しかし実際に話されてることばは、どんどん変化・進化していくので、文語は口語と乖離していくわけです。

 

パーリ語は、古代インドの各地に住んでたお坊さんが話してたアーリア系の話しことば(プラークリット)の一つで、しかも様々な方言または様々な言語(言語学的にはどっちも同じ)を集めてできてるので、一つの活用形でも、複数の形があったりする。

 

「おっすオラ悟空」「こんにちは、私は悟空です」

「おおきに、わては、悟空だす」「おいどんは悟空ですばい」

みたいのが、文法上、混在してる状態です。でもそんな複雑じゃない。名詞は。

 

曲用表がいくつあるか、というと、

a/ā語基 男性/中性/女性

i/ī語基 男性/中性/女性

u/ū語基 男性/中性/女性

o語基 男性

an語基 男性/中性

ant語基 男性

in語基 男性・中性

as語基 中性

us語基 中性

ar語基 男性/女性

 

みたいな感じ。上記に不規則変化の語がいくつかプラスされる。

 

でも、ここまで見たa/ā語基が一番不規則かもしれなくて、

i語基とu語基以降はむしろ、

 assunā(涙によって/涙から)、assuno(涙に/涙の)

 agginā(火によって/火から)、aggino(火に/火の)とか、

だいたい、単数instr.とabl.が-āで、dat.とgen.が-oですね…

みたいな単純なパターンが見いだせたり。

もちろん、活用表のセルに複数の語形があるんだが、

それはa語基ですでに見た形のバリエーション。

 

子音語基、-antを見てみる。

 

bhagavant(-ant語基、男性)世尊

単数sg.

複数pl.

主格 nom.

世尊は・が

bhagavaṃ/bhagavanto

bhagavantā/

bhagavanto

呼格 voc.

世尊よ!

bhagavaṃ/bhagava/

bhagavanta

対格 acc.

世尊を

bhagavantaṃ

bhagavante

具格 inst.

世尊により

buddhatā/bhagavantena

bhagavantehi/

bhagavantebhi

奪格 abl.

世尊から

bhagavatā/bhagavantasmā/

bhagavantamhā

与格 dat.

世尊に

bhagavato/bhagavantassa

bhagavataṃ/

bhagavantānaṃ

属格 gen.

世尊の

処格 loc.

世尊において

bhagavati/bhagavante/

bhagavantasmiṃ/

bhagavantamhi

bhagavantesu

 

6.形容詞

名詞を修飾する形容詞は、修飾される名詞の性・数・格と同じになる。

つまり文法的に、形容詞は名詞と同じ、ただ固有の性がなく、名詞に合わせて変化する

 

7.代名詞・代名詞的名詞・数詞

代名詞も形容詞のように性・数・格が指し示す名詞に一致する。

しかし、名詞とは違った固有の曲用パターンを持ってる。代名詞的曲用

また、一部の数詞や「代名詞的名詞」も、代名詞的曲用で変化する。

代名詞的名詞とは、sabba(すべて)などの、重要な単語群。

 

礼文中のtassaは、3人称代名詞・形容詞taの男性形soの単数・与格、

soは「彼・それ」という代名詞だが、「彼の・その」という形容詞にもなる。

礼文では、形容詞「かの・あの・例の」で、英語の定冠詞theみたいな意味。

 

so(3人称代名詞・男性)

単数sg.

複数pl.

主格 nominative

彼/それは

so/sa

te/ne

対格 accusative

彼/それを

taṃ/naṃ

具格 instrumental

彼/それによって

tena/nena

tehi/tebhi

奪格 ablative

彼/それから

tasmā/tamhā

与格 dative

彼/それに

tāya

tesaṃ/tesānaṃ

nesaṃ/nesānaṃ

属格 genitive

彼/それの

tassa/nassa

処格 locative

彼/それにおいて

tasmiṃ/tamhi

nasmiṃ/namhi

tesu/nesu

※代名詞に呼格はない

※複数dat. gen.のtesaṃ(nesaṃ)は代名詞独自の形。

 

代名詞が指示形容詞になる場合、被修飾語の格に一致。

taṃ buddhaṃ(かのブッダを)

tassa buddhassa(かのブッダに)

tasmiṃ lokasmiṃ(その世界において)